子供にとっての余計なお世話
先月、長男(小学1年生)の空手の試合があった。
練習中、いつも真面目な彼は一位ではなかったものの、午前の部では銅メダルをとることができた。(少人数なのでね・・・)
それでも負けたことが悔しくて私のところにきて泣いた。
実力ではほとんど差のない子どもたちの試合。
最後は「気合い」が勝敗をわける。
気後れしがちなタイプの彼に「あなたはいつも一生懸命やっている。あとは気合いの差なんだよ。必ず勝てるよ」と自信をつけてもらおうとアドバイス。
午後の試合では今までになく大きな声を出し、気合い十分。
本当に我が子ながらかっこよくて、惚れ惚れしてしまった。
あの泣き虫の子が・・・と今度はこちらが涙がでてしまった。
多分、彼の120%ぐらいの力がだせたので、午前よりひとつ上の銀メダルをとることができた。
ああ、また成長したね。母は誇らしいよ・・・
ここで満足したはずなのに。さらに欲がでるのが親なのか・・・
うれしくって、ついついこんなことを。
「週一回の稽古を週2回に増やしてみたら?もっと強くなれるよ〜。」
という私の言葉に彼は
「いや、いいよ。今のままで」
「でも他の子にぬかされちゃうかもよ?悔しくない?」
「いいよ」
「・・・」
なんと向上心のない・・・。
母、がっかり。
まあ、そうだよね。抜かされたら悔しいと思っているのは私。
彼はまだそんなこと考えてもいないし、体験もしていない。
何を根回ししようとしているんだ、私。
彼が悔しいと感じた時に、自分で決めるのが正しい方法。
それを先回りして、悔しいかもよ〜なんて。
「空手の強いかっこいいお兄ちゃん」に仕立てようと、レールを敷こうとしていた。
子育てって、もしかして、あまりに大きく間違っていた時だけ、直してあげればいいだけなのかな・・・
子どもはちゃんと自分の道を決めていく。
やる気がないことはどんなにやっても適当にしかやらないけれど、やりたいと思ったら想像以上にちゃんとやる。
ちゃんとわかっている。
彼としては空手はまあまあ楽しいけれど、もっと遊びたい。
そうだよね。
本人は今も週一回の稽古を一応、がんばっている。
DVDを見て、型を覚えるのが楽しいらしく、いつでもぶんぶん手足を振り回している。
彼が自分のなりたいように、したいように、楽しいように(人様に迷惑をかけているわけではないし)すればいいんだ。
一人の人間の個性を生かしてあげるのが親の役割。
やりたいって気持ちを手伝ってあげるのが親の仕事で、自分好みの人間に育てることではなかった。当たり前だよね。
余計なお世話をしすぎちゃうと本人の本当に進みたい道も邪魔してしまうかもしれない。
親の理想はあるけれど、それはそれ。
理想通りに育ったら、気持ち悪いかもね。
子どもたちよ、好きな形に伸びていってください。