父の心づかい
父にはかないません。
私などは、どなたかがくると、茶碗はこれを使って、茶托はどうしようか。ああ、お菓子がない・・・などと体裁ばかりを気にして、それでもたいしたことができなくて。
ということが多いのです。
それにくらべて、父の「気づかい」は気取りがないのに、かっこいい。
相手の身になって心を使っているので、そうされた方は気持ちがいいのです。
実家に行ったときのことです。
水道メーターかなにかの修理の方が、裏庭の方で作業をしていました。
家の外のことなので、その方は、作業を終えると「終わりました〜」とそのまま帰ろうと、車に乗り込みました。
家の中にいた父は、慌てて冷凍庫から小豆アイスを出し、私に持たせて、「渡してきて」と。
「本当は麦茶でも入れて飲んでいってももらうんだけどね・・・」
父は体調が悪く、そのような余裕もなかったので、せめてもと、「暑いのにご苦労様です。ありがとう」とアイスを差し上げたのでした。
炎天下での作業のあと、小豆アイスを受け取ったおじさんのうれしそうな顔。さぞかし、おいしかったでしょうね。
また、事務的な用で人に来ていただくことがあります。
バイクや自転車などでいらっしゃると、この季節は降りてからが大変です。吹き出した汗がおさまるまで時間がかかります。
そんなとき、父は、麦茶とおしぼりをだしてから、「梅干し食べるかい?」とすすめるのだそうです。
ついでに、昨年、自分で漬けたらっきょうも。
「うーん、すごい」と思ってしまいました。
汗をかいている人の体には、気取ったお菓子より、梅干しやらっきょうがピタリです。
こんな風に自然体で「気づかい」「心づかい」する父ってかっこいいなー。
そして、思いました。
「おもてなし」の本来の姿ってこんなことじゃないかなと。
自分の無理のない範囲で、相手が心地よくなるようにふるまう。
ステキな器を用意するかとか(持っていないけれど)、おいしい物を用意することができなくても、人をもてなすことができるんだなと。
押し付けがましくなく、あなたのことを考えていますよ・・・とさりげなく伝わればよいのではないかと思ったわけです。
いろいろな状況があるので、一概にはいえないですけれどね。
父はよくふざけて、「気い、使わないで、お金使って。」と言っていましたが、実は、気を上手に使う人だったんですね。
私も、もっと上手に「気」や「心」を使わなくては。