鍋の取っ手と父の遺伝子
圧力鍋の取っ手がついに外れてしまいました。
正確に言うと片手鍋の持ち手の向こう側?の支えになる部分です。
買ってからおそらく15年ほど。
実は今は圧力鍋としてはほとんどつかっていません。
でも、厚手の構造のため煮物はおいしくできるし、電子レンジのない我が家では冷やご飯を温め直す蒸し器として、また麺類を茹でたりと大活躍です。
我が家ではなくてはならない鍋、その取っ手。
壊れてはいませんが、ねじが効かなくなってきた?というのでしょうか。ねじの先の部分が消耗されたようで、ぴたっと止まらずぐらつきます。
何度か締め直しながら、だましだまし使っていました。軽い緊張感をもちながら。
あるとき、空の状態で持ち上げたとたん、ぱかっと外れました。
取っ手部分の部品を全取り替えかな〜と思いながらも、まずはこういうのが得意な人にきいてみることに。
「こういうことが得意な人」=実家の父です。
父は「小さな困ったことをちょっとした知恵を使って解決する」という生活を送る人です。
ですから、実家には小さな工夫がいっぱいあります。
たとえば、
外れてしまったやかんの蓋のつまみは、ペットボトルの蓋(みたいなもの)をねじで止めたもの。
エアコンのリモコンは釘を打ちつけただけのフックに。
鳥にとられないように干せる干し柿用の棚もありました。
「あれ!こんなところにこんなものが・・・」とフフっとほほえんでしまう工夫があちこちに発見できるのです。
「お父さんが直してくれたのよ。」母がよくうれしそうに言ってましたっけ。
そんな父ですから、この鍋のことだって、何かアドバイスしてくれるはずです。
実家に帰った時に聞いてみました。
「お鍋の取っ手がゆるんでしまったんだけどどうしたらいい?」
その日は兄も来ていました。
答えてくれたのは兄でした。
「ねじの先にアルミホイルを小さく切ってまいてからしめてみるといいよ。」
父は何か言いかけましたが、兄のその答えに異論はないらしく「後は任せた」・・・とでも思ったのか、その会話には加わってきませんでした。
「お父さんに聞きたかったのに・・・」
娘としては、父から「へええ!」というような答えを聞きたかったので、心の中で数秒間、すねました。
でも、兄が答えてくれたということ、そしてその答え自体も、私にとってかなりの「へええ!」でした。
家に帰ってからさっそくアルミホイルをまいて締め直してみました。
うわあ、本当だ!
ぴたっとはまりました。
ぐらぐらせず、しっかりと安定しています。
知っていればなんてことない話。
でも知らなければちょっと面倒なこと。
こういう「ちょっとしたこと」を知っている人。
父だけでなく、兄もそういう人になっていました。
「お兄ちゃん、お父さんみたい。」
兄の中に、父の遺伝子を感じ、娘として、妹としてなんだかうれしくて。
ひとり、にやにやしてしまいました。
特にまねしたわけでもなく、教わったわけでもないけれど、なんとなく同じようなことをしている。
遺伝子・・・だけではないですね。
家族として長い間一緒に生活してきた時間によるものが大きいように思います。
兄の話をだまって聞いていた父。何か、感じるところがあったのでしょうか。
ねじの先にアルミホイル。ちょっとしたことですが。