傘のお直し
5〜6年前から使っていた白地の傘。
布の部分が、かなり汚れてしまいました。汚れというか、正確にいうとカビです。白がベースの傘なので、かなり目立ちます。
傘って洗えるの?
ホースでジャーっとやったぐらいでは落ちそうもありません。
ゴシゴシ洗ってみたら落ちるかも?
面倒ではあったのですが、骨から布を外してしっかりと洗ってみることにします。
元の形をよくチェックしてから、作業にかかります。戻せなくなっては困るので。
何カ所か、糸をチョンチョンと切って、外します。
風呂場に広げ、洗濯用の石鹸でかなり強めに洗いました。こんな風に傘を洗うのは初めてです。
全体的に、白さはもどり、きれいになりましたが、カビの部分は落ちません。
ここまでやってダメならあきらめもつきます。残念ながら傘として使うのはやめることにします。
骨の部分は処分。布は、かびた部分を切り取れば何かに使えるかもと思案中。小さな袋ぐらいならできるかな。
梅雨の季節。
早く新しい傘を買わなくてはと思い、いろいろなお店を探してみました。
体が小さいので大きい傘をさすと「傘が歩いている」みたいになってしまいます。
自分サイズの小ぶりの傘を探します。
気に入ったものに出会えず、見つかるまでは家にある他の人の傘を借りようと思い、家に帰って納戸をさがしてみると・・・
ありました。しかも自分のものが。
結婚前に使っていた傘です。布の状態もきれいです。
あれ、なんで使っていなかったんだろう?と思い、さしてみると・・・
ああ、骨が折れていました。そのまま、直さず、捨てもせず置いておくとは、私って・・・。
放っておけば、いつか使えるとでも思っていたのでしょうか?過去の自分にがっかりです。
でも、この傘、布はきれいだし、大きさも求めていたサイズ。
骨の部分さえ直せば使えそうです。数百円で直せるのではないでしょうか。
ちょっと得した気分で町の修理屋さんへ持って行きました。
ところが、その修理屋さん、開きもせずに
「開かなくてもわかる。骨の軸が曲がってるから、直してもまたすぐ壊れるよ。うちでは直せない。」
ショックです。ほんとなの〜。ちゃんと開いて見てよ〜。といいたい気持ちを押さえて次の言葉を待ちます。
「買ったお店に持っていくか、傘のタグについている会社に連絡してごらん。」
・・・
ちょっと面倒なことになりました。
10年以上前に買った傘。
買ったお店はさすがに覚えていません。
でも、タグの名前の会社はインターネットで探すことができるかも。気を取り直して家に戻り調べて見ました。
ありました。傘を作っているという会社。修理ももちろん受け付けています。
電話で相談すると、見てみないとわからないという返答。
まあ、そうですよね。
送料なども含め、ある程度の金額がかかることはその時点で想像できましたが、もう私の中で、「直せるものは直して使いたい」という江戸っ子魂?に火がついています。
ゆうパックで送り、連絡を待ちます。
週末をはさんだので、4、5日してから連絡がありました。
「問題なく直せますが、税込みで3024円かかります。どうしますか?」
3024円。その金額で買える傘はあります。いや、もっと安いのも。
でも即答しました。
「お願いします。」
それから1週間ほどで傘は私のもとに帰ってきました。
「おかえりなさい。」
家族や仲間を迎え入れる気分です。
直す前より、愛着がわくのはなぜでしょう。
こう思いました。
この傘には新たな「物語」が宿った。
この傘をさす度に私は自分のとった行動を思い出す。
新品の傘を買うより、ずっと価値のあることをしたと私を満足させてくれるのです。
傘というものが同士になった。(?)
ただただ、自己満足のお話でした。
帰ってきてほっとしている傘。
それとももう一度役割が与えられてワクワクしている?